意味パウダー

在宅翻訳家の手記

サスペンスよりもこわいBL

『魔道祖師』の日本語版小説を少しずつ読んでいます。
恨み、派閥、友情、親戚付き合い、そして突然カットインするドタバタ感あるギャグ要素と曖昧な恋愛模様
日本語になっても文化の描写やギャグ要素のニュアンスは「中国っぽさ」があります。
深い恨みや思惑による心理戦と平板なギャグ。
主人公は目的の為に殺人をしたり遺体を操作する場合があります。
どの登場人物にも多面性があるので、善悪という軸では役割が決まっておらず主人公は自分の立ち振る舞いにあたり周りの状況を読み、最善策を選べるよう場当たり的に対応して行かなければならないという感じです。
相手が偽っているかもしれないため、自分の方もはっきりしたことを言わなかったり話題を有利に変えたりするという描写が複数の人間関係の組み合わせの場面で出ています。
日本製のサスペンスドラマで犯人側が執拗に正義側を陥れようとする試みよりも闇が深く、悲しみも深いです。
しかしファンタジーなので、例外を除き、仙門の登場人物は鬼道で亡くなった人を操作します。

シームレスなメディア

ボイスⅡというドラマを見ていたら、犯人が「犯人を痛めつけるためには主人公にもっと本気で怒れ」とか、「係累を殺されたら警察官の主人公も犯人を殺したくなるだろう」という話をしていました。

サスペンスドラマだと思っていたのに、会話が少年漫画みたいだなと思いました。

LGBTQへの配慮が求められている昨今では、サスペンスドラマの視聴者層について、どういう家族構成でどんな生活をしていて、性別は、背景文化はと設定するのはあまり意味が無いのかも知れません。

私はボイスⅡの視聴者はどういう層なのかは分かりませんでした。

本当に嫌なことをしてくる人や物事があたかも自分に対して「本気で怒れ」と言っているかのような状況というのはいろいろなレベルで現実にあると思いますが、そこで正義や人間に対する理解や愛情を思い出さなければならない、というのは主人公が警察官でなくても話の大枠としてスタンダードなものだと思います。

視聴者の心の中の警察官的な部分に、正義を仕事にしてでもいない限りは挑発に見えるものに乗って「本気で怒」ってしまうだろう、と訴える効果があると思います。

警察官でなくても、結局は本当に嫌なことをしてくる人や物事があたかも自分に対して「本気で怒れ」と言っているかのような状況に「単に怒るのは能がない」ということをこんなに壮大な長時間ドラマにして思い出させてくれるテレビ。

犯人は、主人公に対し直接的に「怒れ」と言ってる訳ですが、「怒れ」と言われたら、嫌なことを要求してくる人の指示に従うのはつらいので、怒れなくなり感情が死ぬような気がします。主人公は最終回の後半まで怒り、感情が死んでいないかに見えて最後はシームレスに犯人の身の上話への理解に立場を転じ、慈悲深く犯人の動機に理解を示しましたが、事態を収めるという目的のために、瞬間的に感情が押しやられているとは思います。

ボイスⅡの犯人は「感情労働生成装置」であるがゆえに、無関係な人間の感情を、自分の感情を表すために、巻き込んでいると感じます。

正義とか友愛で話を収めた後、その当時に死ぬか追いやられた感情は大丈夫なのか、爆発しないのか?ということを描いている話を知りたいと思います。

煩わしさを省くと

翻訳会社で登録DTPオペレーターまたは登録翻訳者になるとコーディネーターのかたを通してお客様のご要望などを知ることになります。

1団体のお客様のところで専門性の高い内容の翻訳案件が定期的に大量発注としてあり、案件毎に値決めがあるとかDTPの仕上がりにこだわりがある場合などだと、コーディネーターのかたの業務が必要になると思います。

私がDTP業務をもらっているビジネス・産業翻訳の場合、ファイル自体のページ数が多いとか画像を処理しなければならないとか、目次や索引を作成・更新しなければならないとかヘッダーやフッターを過去ファイルと統一したいとか、記号を特定の字体で入力しなければならない等のDTP条件は現状のクラウド翻訳ではカバーできないところかと思います。

登録翻訳者の場合は、翻訳のチェックをして下さるかたからもフィードバックをいただけます。業務を引き継ぐとTMやグロッサリーというデータのやりとりがある場合があり、データサイズが大きいと引渡しに別途データ送受信用のマイページシステムやデータ便などを導入する点で難が出ます。

このように、翻訳会社での登録者としての業務は人間関係が多少あります。

私の業務で、現在最も稼働中のクラウド翻訳には抜き打ちで翻訳のチェックをして下さる上位の翻訳者のかたからのコメントとお客様とのやりとりしか人間関係がありません。

締め切りに間に合わなかったら別の翻訳者がその仕事を0から拾います。クラウドでない翻訳会社と違い、締め切りの感覚はお客様の自由度が下がるということです。2段階認証のサービスを選ばない限り、チェックはお客様が行ないます。その一方で納品までの時間は平均的には速くなり、1ワードあたりの単価に交渉はなく、安いです。原稿がテキスト情報だけでなく、オフィスソフトファイルだった場合、簡単なDTPも翻訳者が処理することになります。

ただ、文書自体は易しい内容でもデザイン性や字体にこだわるとか、InDesignのファイルや場合によってはOCRにかけたり、PhotoshopIllustratorが必要な画像内テキストの翻訳はクラウド翻訳ではまだ未対応だと思います。

クラウド翻訳したファイルをクラウドDTPに回すという流れは現在でも、ありそうです。

現状ではPDFのWord化やOCRにかけたりはブラウザサービスでできるので、こうした「目視」が必要でありDTP領域に重なる処理が、デジタルトランスフォーメーションという変革が進んでAIが発達して行った場合にクラウド翻訳でも自動化やサービス化されるということもありえるのではないかと思います。

TMはクラウド翻訳のサイト自体に蓄積され、翻訳者同士がデータの送受信で連絡する手間はありません。また、トラドスと同じようなブラウザサービスを使っている翻訳者登録サイトもあります。

英語圏の会社の方が表記ルールに無駄がなく、データのやりとりも合理的なのではないかと思い始めました。

入稿→翻訳作業→DTPの間に納期を急かすとか値下げ交渉するとか個人個人の感情が入る余地がないことが、長期的にみて業務を続けやすくしていると思います。

オフィスソフトのDTPはファイルを最初に作る人がしっかりしていればDTPオペレーターはいらないのでは?と思うケースもあります。

別の記事でも書きましたが、他の人でもできそうなことでお金をもらっているからと言って「好きなことを仕事にしていてずるい」とか、急かす、値下げさせるというのは最終的には業務の構造に対する破壊活動でしかないと思います。一方で、どういう仕組みにすれば業務がスムーズになるかという見方や考え方自体が違う人に「良かれと思って」、「こういう風なシステムにすればいいのでは?」と言っても、すぐに「はいそうですか」とシステム変更にはならないと思います。

専門性の高い内容のファイルがどれくらいクラウド翻訳に流れているかは私の実力不足のため、まだ分かりません。
あとデジタルトランスフォーメーションが翻訳領域ではどうなるとかは分かりません。

処方の変遷

当帰芍薬散→加味逍遙散→加味逍遙散+ジエノゲストという変遷を経て自分の場合は何があったかを書きます。

当帰芍薬散→加味逍遙散の時期は具合が良くない時に、段々精神的に答えが見つからない片付かないことを考えているというケースが目立ちました。私の場合は、日本の犯罪でよくニュースで見かけて印象に残るのは刃物を使うか毒物を使うか性犯罪か交通事故という感じだと思いますが、特にドラマ等で「ナイフで刺す」という場面やニュースを見るとMPが削られる時期が4年くらい続きました。

初期(2015年)に精神面では健康とされていた人から「自分に関係ないことで悩むことはない」と私が昔、元友人に言ったような距離感の言葉を言われましたが、私の実際の症状は人が心配して「アドバイス」をくれたということには全く喜ばず、却って「言っても話が噛み合わない」「言うんじゃなかった」となるようなエピソードが2020年末までにこまごまと折り重なっていました。

直感的に考え始めるイメージというのは第三者から見た効率を基準にした「アドバイス」では止まることがなく、逆に「○○さんが"考えるな"と言ってくれたから考えないようにしよう」という風に切り換えられるような柔軟な人はそんなに症状も重くならないかもしれません。

そもそも症状に出てる時点で、他人が「何かひとこと言ったら改心して治る」という領域とは別の次元になっていると思いますが、病気治療以外に重要目的がある人から見ると病気は根性でどうにかなるような些末なことで、「こうすればいいのでは?」と「アドバイス」を言います。

2021年4月25日に『らんま1/2』の再放送が始まって、観始めてからは高橋留美子作品に感じる「人は基本的には自分の見たもの、見たいもの自分の感情しか信じず、常に他人の感じ方を妨害し合っている」という感覚が多少、間近にあるツラさではなく、遠い風景として見られるようになったと思います。

加味逍遙散+ジエノゲストになってからは初期は眠りが浅い時期もありましたが、生理の分量自体が抑えてあるので、疲れたからやるべき事ができないということが当帰芍薬散→加味逍遙散の時期の3分の1くらいに減り、その分で気分の立て直しができるようになりました。

体力が使えるようになったので、長時間仕事ができるようになりました。仕事があるので漠然と不安や悲しみに浸るという時間が減りました。前にファイナルファンタジーシリーズの何かのタイトルをプレイした際に戦闘時に「かなしみ」状態というのがあったのを見た時、何だそれと思っていましたが、現状の私の場合は、「かなしみ」状態が根底にあるから病気が居座るというのが適切だと思います。

体調不良→いろいろ悩む→QOLが下がる→求人応募がうまく行かず仕事も少ないまま→体調不良…というサイクルが処方の変更により、改善しました。

『極主夫道』~シュフ側は極道になりうるのか~

猫村さんの穏やかさの次に姿をくらましたヤクザがシュフという比喩がネタとして、まかり通りました。

私が猫村さんと極主夫道に共感するのは、どんなに技術が発達しても、人間が「私たちは動物」だ、「暴力が1番」だと野人モードになってしまう可能性を阻めないと感じているからではないでしょうか。

日本のシュフの動物的側面を比喩なしに描いたらネタにならない、という文化の流行だと思います。

「極道はシュフみたいな家庭的なことをするはずがない」という共通認識としての前提があるから「面白い」となる訳で、実際に極道の人の生活にシュフ的な動作があるか否かは問題にはなってないと思いますが、もう一度考えてみます。

「暴力を生業にしていた人は家庭生活にだけ目を向けた丁寧な暮らしをしません」と言いきれるかどうか、と思います。

マイナーな職業から離脱した人の生活が圧倒的に「どこにでもいる」的なシュフと重複するはずがない、という訳です。

実は「どこにでもありそうな生活風景」があるだけで、「どこにでもいる」シュフなど存在しないのではないでしょうか。

同じような動作をしているから同じ人間の括りに分類していい、というのがまかり通るなら、シュフはある場面では、元・極道並みに暴力的なのかも知れません。

受け売りの話を鵜呑みにすると猫は「悲しい」という感情がないとのことです。飼い主の落ち込みに寄り添っているのは「異変」として対応していると。

現在の社会情勢として、実際に「悲しみ」に共感するのは、共感しやすいかというと、自分自身の「悲しみ」を打倒すべく無関係の攻撃しやすい対象をやっつけるが手応えがないみたいな部分があると思います。

「人の痛みが分かる」ということをやっていられない人が家庭的な生活に適応するべく、シュフのルールに沿って生きる、というのが、シュフの根底にあるから、「暴力を生業にしていた人は家庭生活にだけ目を向けた丁寧な暮らしをしません」という笑いが存在することを表向きの看板に出せるんだと思います。

実際に「暴力を生業にしていた人で、家庭生活にだけ目を向けた丁寧な暮らしをしている」という人がいるかも知れませんがその実在が抹殺され透過加工されて笑いが浮き彫りになっているのが、この系統の笑いの仕組みだと思います。

でもそんなことを言っていると「こんな人いないよね!おもしろーい!」とならない訳で、「こんなことある訳ないのに、面白いねー!」という感覚が大切だと思います。

元の職業を知られない方がいいはずなのに、包丁の代わりに脇差しを使ったりサングラスをかけたり、わざわざ分かりやすく元の職業で培った見た目の動作を突き通してしまう、という人がいるとすれば、当人にとっては、かなり衝撃的な生活になると思います。

『サガ3 時空の覇者』の衝撃

昔、ゲームボーイで『サガ3 時空の覇者』というRPGをプレイしました。
主人公グループが洪水を止めようとする話だったと思います。
主人公が大人になるにつれツラいことが増えるという感覚を持ちました。
何をモチーフにそれほどまでに甚大な洪水が起こるなんていう話になるんだろうなとずっと思っていました。
シナリオライターの人が想定したのは、何か大人にとって現実にツラいことの比喩なんじゃないかと思っていました。
しかし気候変動が強まる現在では洪水というのはメタファーではなく、現実です。
物理面以外でも制度の崩壊とか見た目が麗しいだけで立ち行かない構造というものも地球環境の変化や新しい技術と共に頻発しています。
『サガ3 時空の覇者』のように他の時代(昭和後期、平成)より今の令和の大人の方がツラいよ!と言いたくなりますが若い年代にとってはこのつらみがデフォルトだと考えると、若い層と一緒にシティポップやバブルやレトロなど昭和や平成初期の文化に立ち戻って行く前に何か新しい文化の理想を作る提案ができるのが望ましいと思います。
それはSDGsという、言えば絶対に、社会的には反対はされない真面目で公的な目的以外の層から裏打ちとしてサポートするような文化だと思います。

『#駄言辞典』がAmazon1位

書店で『早く絶版になってほしい #駄言辞典』をちらっと見て、自分の場合、割合的に女性から言われたことが多い、と思って暗い気持ちに。

そしてAmazonで1位になってました。それだと絶版にならないですよね。これは「怖いもの見たさ」とか、自殺した作家のゆかりの店を巡礼に行くとか、戦争体験を描いた漫画に傾倒するとか、そうした好みだと個人的に思います。

私がこういう掲載されているような言葉を知るようになった時は、この辞典に載っているドラマのセリフみたいな使い古された言葉を使うのが一種のステータスであって、その基準を私がよく知らないという状況だったんだと思います。

「誰のおかげで⾷えると思ってるんだ」とかですね、これはある程度前例とか制度みたいな文脈ありきの有り難い禅問答で、特別な人にしか許されないような過剰に摩耗したドラマチックな呪文の継承者の1人って鼻が高いじゃないですか。

時には、テレビのサスペンスで観たようなドラマチックさの模倣であることが生きてるってことなんだと思います。

ドラマの中に生きるべき人が現人神や高名な闇の魔道士として降臨したのをサングラスをかけずに目の当たりにしたら、それは何かしらの極端なインパクトになるということだと思います。

まだ命があることに深く感謝して生きて行きたいです。